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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-11-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・先日、クルマで中央高速を走っているときに、
 同乗していた「ほぼ日」の女性たちが、
 急に「あ、中央フリーウェイですね」と言い出した。
 そう、中央高速をさんざん走ったことのあるぼくでも、
 それについては何度も思った。
 「調布基地はもっと先か」であるとか、
 「競馬場はもう過ぎたのかな」とか
 「ビール工場はいまでもあるのかな」とか、
 妙にはしゃいでいるようだった。
 世代的に、ユーミンの楽曲になじんでいる人たちだから、
 その歌詞のなかにじぶんがいるということが、
 格別にうれしいのだろう。
 「横浜だったら、山手のドルフィンも行った?」とか、
 話はさらに、中央フリーウェイからも移動していた。

 すごいな、こんなに人びとの記憶のなかに残っているんだ。
 いまでも「調布競馬場」はあるけれど、
 「調布基地」はないし「ビール工場」をぼくは見ていない。 
 しかし、歌詞のなかに登場する実名は
 そのまま「ある、あった」ものとして消えないのだ。
 そんな車内の会話を聞きながら、ぼくは思った。
 「そうか、ユーミンは俳句だったのか?」と。
 もちろん五七五の形式ではないが、
 俳句も歌詞も同じように「詩」の文である。
 そして、「中央フリーウェイ」の表現の軸は写生である。
 この歌の世界を描いている主人公は、
 助手席に乗っていて「片手で肩を抱」かれ、
 強い風に吹かれている女性だが、
 歌の内容のほとんどが、動く景色の写生なのである。
 最大の見せ場は「この道はまるで滑走路 夜空に続く」だ。
 主人公たちはこの道を滑走して、夜の空に飛んでいくのだ。
 ぼくは、芭蕉の句を思い出していた。
 「荒海や佐渡に横たふ天河(あまのがわ)」。
 地上と夜の空をひとつにつなげ詩にしている、
 という意味では、「中央フリーウェイ」といっしょだ。
 そんなふうに見ていったら、荒井(松任谷)由実の詩は、
 写生と心情を取り合わせた見事な俳句に見えてきた。
 ぼくは、最近俳句のことばかり考えているものだから、
 やや牽強付会にも思われそうだが、
 そう思ってあらためてユーミンを聴くとおもしろいよー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
晴れた午後貨物船が通るソーダ水。俳人と画家も近いのかな。 


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